「ジャニー喜多川告発騒動」に見る後出しじゃんけん的「ミートゥー」運動の悲哀【宝泉薫】
◾️ジャニー騒動で「ジャニーズ叩き」に加わっている人たち
SMAPの解散、King&Princeの分裂によって、ここ数年、事務所に不信感を抱く人が増加。そういう層も、今回の騒動ではジャニーズ叩きに加わっている。
そこには、大事なものを壊されたという被害者感覚が作用していて、こうした感覚は根深く、こじれやすい。いや、フェミにしても、自分が不幸なのは男のせい、みたいな感覚が根底にあるし、野党にも、選挙で勝てないのは自民党のせい、みたいなところで負け組感をごまかしているのではないか。
その点、今回の告発者たちもそれぞれ、こじらせてしまっているのだろう。スターになっていれば、こういうこともしなくて済んだはずだ。
いわゆるデビュー組では唯一、元・忍者の志賀泰伸が告発者となったが、彼の場合、アイドル時代に妻子がいることがバレてグループを脱退するという憂き目を経験。それがこじらせにつながったと見ることもできる。
そこで思い出されるのが、かつて告発者から作家となった平本淳也のジャニーズ論だ。音楽評論家の近田春夫が絶賛して紹介した文章を引用してみる。
「ホモぐらいどうってことないタフなヤツだけがスターとなって生き残れるのだ、という論は、一事務所の問題を飛び越し、芸能の中心部にあるものにまで軽々とせまってしまっていて、ちょっとまいった」(「考えるヒット3」)
たしかに、芸能とは大なり小なり、作り手たちのエロス的な衝動に立脚している。小室哲哉と華原朋美しかり、宮崎駿と大橋のぞみしかりだ。そういうものなので、ホモだろうとなんだろうと、いちいち気にしていたらスターにはなれない。
もちろん、エロスは愛だけでなく、ときに憎しみも生むが、それは不可避的なもの。むしろ、作品以外の部分では、愛憎なかばするところも赤裸々に見せてくれるから、スターのスキャンダルは魅力的だともいえる。メディアもそのあたりをわかったうえで、不倫だったり、セクハラだったりをとりあげるのだろう。
ただ、ここ数年はそこに善悪を持ち込みすぎていて、それが芸能の委縮につながってもいる。そういう切り口のほうが今はウケるし、儲かるのだとしたら残念な状況だ。それこそ、行き過ぎた「ミートゥー」は芸能を(おそらくは世の中全体も)衰退させるので、メディアにはなるべく加担しないでもらいたい。
なお、今回の騒動を機に、事務所の再生を、などという主張も見かけたが、ジャニー亡きあと、少年たちがかつてのように輝くことはあまり期待できない。ジャニーズの芸能文化はそれくらい彼ならではのエロスと表裏一体だった。アンチが心配しなくても、今後は普通の芸能事務所に変わっていくしかないだろう。
文:宝泉薫(作家、芸能評論家)